静岡鉄道 静岡清水線

静岡鉄道は1908年に開業、太平洋戦争後の最盛期は
静岡市〜旧清水市を中心に、複数の路線が存在・・・していたそうです。
ところが経済成長と同時に、道路網の発達による利用者減、
老朽化や自然災害の不運も重なり、多くの路線が廃線へと追い込まれました。
静岡清水線が唯一の鉄道路線として、現在に至っています。

撮影日:2005年9月4日

写真1
今日の旅は静岡清水線。新清水〜新静岡間を往復する、11.0Kmの短路線。
新清水駅の裏側より、小さな旅のスタートです。
写真2
金属音を響かせながら、愛くるしい表情の銀色の車体が登場。
列車は急カーブをゆっくりと通過、駅ホームへと接近します。
写真3
静岡鉄道の現行車種は、東急車輛製の1000系のみ。
休日の駅は人気もまばらですが、速やかに出発時刻を迎えます。
写真4
新清水駅を出発した列車は、付近を流れる巴川の鉄橋を通過。
道路からの高さは僅か1m80cm、長身の大人では頭がつかえてしまいます。
写真5
鉄橋の真下からのぞくと、ご覧の迫力。
枕木から響くきしみ音と共に、列車は頭上すれすれを通過します。
写真6
真下からの姿だけでは申し訳ないので、巴川を渡る1000系の姿。
あいにくの曇り空ですが、快晴になると壮大な富士山が背後に登場・・・とか。
(新清水−入江岡 間)
写真7
数百メートル先に進むと、所々で近郊農園が広がります。
始発駅から一駅の短い区間でも、沿線風景の変化が楽しめます。
(新清水−入江岡 間)
写真8
線路に沿って歩き続けると、東海道線との併走区間に入ります。
幹線道路脇の小さな駅を発見。狭い路地をすり抜け、改札口へと向かいます。
写真9
写真の桜橋駅は、急カーブの中間地点にホームが並びます。
新清水方向の列車をやり過ごし、新静岡方面の列車の到着を待ちます。
写真10
程なく列車が到着、迷わずに先頭車両へと乗車します。
東海道線との併走区間は長い直線へ突入、列車は快調に飛ばします。
写真11
列車は併走区間を走り抜け、ここで一旦途中下車。
ステンレスの車体は一見すると都市的ですが、地方都市でも多くの車両が活躍。
農作業とのマッチングですが、何ら違和感を感じません。
(県立美術館前−県総合運動場 間)
写真12
正面より急接近する1000系車両。
建物の影をすり抜け、新清水方面へと走り去ります。
(県立美術館前−県総合運動場 間)
写真13
茶褐色の線路脇に咲き誇る、濃紫の花。
列車の通過と共に揺れる光景から、ほのかな秋の気配が漂います。
(県立美術館前−県総合運動場 間)
画像14
急カーブを通過すると、駅舎が見えてきました。
県総合運動場駅のホームへ足を運び、新静岡方面の列車を待ちます。
写真15
列車を待ち続けると、どこからともなく駅員が登場。
線路に飛び降りゴミ拾い。都市圏の鉄道では考えられぬ大胆さ。
列車の運行間隔が短いのに、大丈夫なんでしょうか?
写真16
そんな心配をよそに、遠方の鉄橋から列車が接近。
東海道線と新幹線の線路を交錯し、列車は先に進みます。
写真17
列車は二つ先の長沼駅へ到着。
この一帯は車両基地。停車中の1000系に混じり、旧型車両を発見。
レトロな姿に惹かれてしまい、思わず途中下車。
写真18
鎮座するその古びた車両は、クモハ20。
1930年製造、元々鶴見臨海鉄道(現JR鶴見線)で活躍していた車両とのことで、
かつては川崎の臨海地区で走行、まさに奇遇なる対面。
30年以上前に現役を退き車籍は抹消されたが、事業用車輌扱いで現存中。
画像19
感慨を胸に秘めつつ、再び列車に乗車します。
終点の新静岡駅に近づくにつれ、線路脇の建築物が増えてきます。
狭い曲線区間に突入すると、列車は速度を低下し蛇行。
終点から一つ手前の日吉町駅付近。最後の直線区間でラストスパート。
写真20
駅ホームから先を見渡すと、建物の上に清水エスパルスの看板を発見。
静岡はやはりサッカーの街だなぁと、改めて実感。
写真21
静岡清水線で特筆出来るのは、運行本数の多さ。
ピーク時は1時間に12本、休日の日中でも1時間に10本も運行。
まさに都市型交通の優秀例。唯一の弱点は始発列車が6時台と遅い程度か。
写真22
静岡清水線はすべてワンマンでの運行。
全線複線でワンマン運転を日本で最初に行った路線とか。
ワンマン表示の隣に「急行」表示がうっすらと見えますが、
現在は急行は廃止され、各駅停車で運行中。
画像23
列車は終点の新静岡駅へ。ここでも慌しく列車が折り返します。
静岡清水線の短い旅はこれにて終了。来年もまたお会いしましょう。

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